山形の米づくりの歩み 稲品種と栽培の系譜より(7)
Ⅵ 「はえぬき」誕生までの道のり
昭和61年春、筆者は庄内平野のど真ん中 藤島町(現鶴岡市)の県農業試験場庄内支場 (現山形県農業総合研究センタ-水田農業試験 場) の門をくぐる。3度目の育種の仕事だ。 ポストササニシキを作る、という途方もない目 標を持って。当時のササニシキの作付けは
55 千ha、平成2年の61千haまで伸び続けるが、 市場評価は芳しいものではなく、新潟県産コシヒカリ、宮城県産ササニシキに大きく水を開け られていた。ライバル県秋田で昭和59年に開発した「あきたこまち」はそのおいしさと 斬新な品種名で急成長していた。県内の農家や農業団体からはポストササニシキの声が日 増しに高まり、山形県にとって、ササニシキに代わるオリジナルの銘柄品種の開発が喫緊 の課題であった。筆者はそれまで12年間品種育成に取り組み、この間、ササニシキを凌駕する品種を、 との思いで挑戦し続けてきた。育種に従事する誰しもが抱いている思いである。しかし、 30数年以上にもわたって山形の米づくりを席巻してきた偉大な品種の前に、新品種誕生は 厚い壁にことごとく拒まれてきた。ポストササニシキ、コシヒカリ、あきたこまちに負けない新品種を作る、暗中模索の中 での一つの手がかりが、北海道で行われていたコメの理化学特性の分析による良食味品種 開発への取り組みである。食味に密接な関係があるコメの理化学特性のうち、タンパク含 有量とアミロース含量を簡易に分析する機器を活用して選抜する新育種法が脚光を浴びて いた。しかしこれらの機器はいずれも高価であり、高根の花であった。我々の手元にあるのは古びた電気釜だけである。 それならば、ということで初志貫徹、食いまくる ことにした。研究員、補助員10名足らずの育種 部員は、日に三度、二日酔いであろうと何であろ うと食味検定に立ち向かった。
食う方も大変であ ったが、飯を炊く研究員もまた大変であった。
若い研究員がもくもくと飯炊き男に徹したからこ そ、ハードな
食味検定を数多くこなせたのであろ う。三年間食いまくっての選抜であった。筆者は食味官能試験(農業試験場) これらの材料から、ササニシキに代わる品種が生まれることを期待し、庄内支場を後にし た。その直後の平成元年、山形県は県あげて銘柄品種開発事業を開始した。農業試験場に1 憶6千万円の巨費を投じ、夢にまで見た食味検定関連の機器を導入した。
食べまくりと、 機器による成分分析のもとに「はえぬき」が誕生したのは平成3年である。県・農業団体 は「はえぬき」をポストササと決め、 石垣島で冬期間に種子増殖を行い、 その普及拡大に力を注ぐ。「はえぬき」は山形県の主要品種とし てササニシキにとって代わり、一瀉千 里、最高42千ha(平成26年産)ま で作付けを伸ばした。秋田県、大分県、 香川県も奨励品種に採用した。日本穀 物検定協会の食味ランキングは平成6年 から魚沼産「コシヒカリ」とともに22年 連続特Aに輝く。「はえぬき」は「庄内29」と「秋田 31号」(あきたこまち)との交配から育成 され短稈で良食味というこれまでにない特 性を持っていた。田んぼでみる「はえぬき」 は丈が短く、ササニシキ、コシヒカリを見 慣れた農家はびっくりしたという。丈が短 い品種は倒れず作りやすく多収である反面 おいしくない、というのがそれまでの定説 であった。もし、徹底した食味検定がなか ったらば、短稈という形態的特性からして、 「はえぬき」誕生の報道(山新より) 選抜の過程でボツになったであろう。そう 考えると、「はえぬき」の短稈でありながら優れた食味特性を見出した最大の功労者は、 飯炊きに徹した研究員であったかもしれない。彼はその後、「つや姫」、「雪若丸」の育成 に携わる。 一つのブランド米品種が誕生するまで十数年以上もの年月を要する。この間、育種に従 事する研究員も変わる。食味検定関連の高度な機器類も導入された。しかしそこには、"食 べまくる"、という選抜法が面々と引き継がれ、飯炊きと食べまくる地道な歩みがトップク ラスの品種を生んだのでないだろうか。
2026年3月 2日 14:07








