山形の米づくりの歩み 稲品種と栽培の系譜より(6)

  Ⅴ ササニシキの栄枯盛衰
 かつて、庄内平野4万ヘクタルの田んぼを埋め尽くしたササニシキ、本品種は昭和年に宮城県農業試験場古川分場で誕生した。父方ササシグレのササ、母方のハツニシキのニシキをとって命名したという。両親はともに良質米品種のエリ-トである。 山形県は1年遅れの昭和39年に奨励品種に採用した。ササニシキの優れた特性は穂の数が多く典型的な穂数型品種で多収・良食味であった。反面、作りにくい品種であった。肥料の施用方法が適切でないと青畳を敷いたように倒伏する。いもち病には弱い。そのササニシキが県内、とくに庄内で燎原の火のごとく広まった理由を、田中は「生産者の支持を得た第一は収量性であり、自主流通米発足(昭44)以降では収益性にある。そして消費地では消費者や販売者に受け入れられたことによる」と述べている。
水稲品種の作付け変遷.jpg 作りにくいササニシキの安定栽培のため県、庄内経済連(当時)の技術支援体制も見逃せない。経済連は昭和48年より米づくり運動を継続的に展開、「良質米高位多収穫実証田」運動を皮切りに、3年ごとに名称、目標を見直しながら14年間継続した。のみならず、特筆されるのがこれらの運動が単なる生産者の共励会にとどまらず、生産者の土壌、耕種概要、生育・収量などの詳細な調査データを成績書として取りまとめ、積み重ねてきたことである。運動に参加した生産者は延べ1000戸、生育・収量などの調査データも6万点に上る。  筆者は10)この膨大なデータに目を付けた。タイミングよく山形県農業試験場は新装(昭57)にともなってミニコンピュータを導入した。県農試独自でコンピュータを設置しているのは全国ではまだ珍しく、現在のパソコンが普及するずっと以前である。コンピュータを核に構築したのが「コンピュータ利用によるササニシキの生育診断・予測システム」である(昭57)。
生育の予測システム.jpg
 システムの流れを紹介しよう。①農業試験場、農業改良普及所(当時)が設置している作柄調査田の生育を10日ごとに調査する。②調査データを直ちにコンピュータに入力、そこからは10日先、20日先の生育や登熟の予測値が出力される。これを逐次予測と称した。③さらに気象情報、土壌窒素、稲体窒素、病害虫発生予察情報などを加え当面の対応技術を策定する。④農業改良普及所ではそれら情報に地域特有の環境に対応した技術を加え、全域の生産者へ逸早く情報を伝達する。⑤生産者はさらに独自に田んぼの特性を加味して穂肥の時期や量などを決定して対応技術を駆使する。 近年情報科学技術の進展で注目されている「スマート農業」は、「刻々と変化する状況に応じた、きめ細やかで、洗練された最適な生産管理を迅速に行う農業」といいかえることができると言う11)。とすれば、生育診断・予測システムは「スマート農業」の先駆けであったと思っている。その稼働によって、ササニシキの生産現場ではより積極的に生育コントロールのための対応技術が可能となり、生育の安定と収量向上が図られた。田中9)は50kg/10aの増収効果があったと解析している。
  本システムはササニシキの安定・高品質栽培に対する生産者と関係機関の強い意欲が下地となって、全国に先駆けて実用化されたが、その稼働は短期間であった。その背景には、平成2年に始まった自主流通米の入札制度があった。入札結果に、県内の産地には衝撃が走った。新潟米、宮城米と並んで御三家とも呼ばれていた「庄内米」ササニシキは宮城ササニシキ、秋田ササニシキをも下回り、また、内陸産ササニシキは東北6産地のササニシキで最も低価格であった。価格低下は想定外であった。  ササニシキ凋落の要因には、その食味特性とその低下にあったとも言われている。ササニシキの食味は、食感が柔らかく、甘みがあり、飽きのこないものであるが、粘りが弱い。このため、炊き上がりの食味は良いが、保存した場合や冷えたときの食味低下が大きい。家庭での炊飯が毎食から一日1回さらには数日に1回となり、ジャ-で保存したご飯を食べることが常態化する中で、粘りの少ないササニシキは次第に支持を失っていた。消費者の嗜好は、新登場した「あきたこまち」、「ひとめぼれ」、そしてコシヒカリ型の食味へと移り変わってきた。
 ササニシキは多収品種であった。収量を上げるた 実肥は食味を損なう.jpg

め肥料の施用回数が多くなり、ササニシキ本来の食味を損ね、市場評価を徐々に下げたのでないか。ササニシキが全盛を誇った庄内地方の米づくり技術の主流は稲穂が出てから施す追肥、"実肥"依存型にあった。ササニシキは良質多収を兼ね備えた優れものであるが丈が長く倒れやすかった。このため、倒伏を軽減し800kg/10a穫りで一等米を確保する技術が実肥の多数回施用であった。筆者らがこれらの米の成分を分析したところ、玄米タンパク質含有量は9%以上もの驚くような高い値であった。一等米イコ-ル良食味米でないことを示す結果であった。この研究結果を地元紙が一面で報道。その記事を抜粋すると、①全体の施肥量に対する穂肥(穂が出る20~15日前に施す肥料)が40~50%という穂肥にウエートを置いた栽培を行ったコメにおいしくないもの が多い、②穂が出てから8月20日こ ろまで実肥を何回も施したコメは美味 しくなかった。これらは食味にもっと も関係の深いタンパク質含量の分析結 果で分かった。 この結果は今では当たり前と受け 止められているが、当時としては、 コメのタンパクという用語を初めて 知ったという生産者がほとんどであ った。生産者には庄内ササニシキの おいしさは新潟産コシヒカリに負けず劣らないとの自負心があった。新聞報道に生産者の みならずJA関係者は大きなショックを受けた。筆者のもとには抗議が舞い込む。筆者の 体験を思い出すまま。
 県オリジナル品種「はえぬき」の誕生によって、ササニシキは半世紀近く主演であった 舞台に幕を下ろす。  

2026年2月26日 09:56