人と風土が育む山形の酒米(8)

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佐藤弥太右衛門翁が育成した「イ号」  蘇った酒米 京の華、亀の尾、イ号(農村通信より) 

 二つ目が山田錦の名称とのかかわりである。山田錦は昭和11年(1936)に兵庫県が新品種として採用したが、当初「山田錦」の品種候補名は「昭和」であったようである。「兵庫県酒米試験地に残っている原種改廃協議会の資料にも、手書きの「昭和」という記入が残っている。どのような理由で「昭和」という品種名が採用されずに「山田錦」と命名されたのかは、現時点では資料や伝承がない。推測ではあるが、「昭和」という品種候補名が見送られた背景には、山形県での「昭和〇号」との混同を避けるためでないかと思われる。山形県庄内地方では、昭和4年から8年にかけて、民間育種家佐藤弥太右衛門が、「昭和イ号」から「昭和ヌ号」という「昭和」にいろは名を付けた9品種を育成している。このうち、「昭和ニ号」は昭和11年から同23年まで山形県の奨励品種に採用されている。これらの情報が「山田錦」の品種名を最終決定際に考慮されたのでないかと思われる。「山田錦」の「山田」については、母親の「山田穂」に由来する」(池上 勝:兵庫県立農林水産技術総合センター研究報告53号:2005)。

 佐藤弥太右衛門翁は庄内が生んだ育種家であり、阿部亀治翁、工藤吉郎兵衛翁と並ぶ庄内三大育種家と称されている。生涯18の品種を育成、中でも、「イ号」(愛国の自然雑種)は大正14年から16年間、山形県で奨励品種に採用され、最大19000ha作付けされた。宮城、青森県まで普及した。山田錦の品種名にかかわりを持った「昭和ニ号」(イ号×中生愛国)は、昭和9年の東北地方の凶作にさいして耐冷性品種として好成績をおさめたので、当時の報知新聞社より功労賞を贈られている(菅 洋)。しかし、弥太右衛門翁はその功績が大きかったわりには地元庄内でも忘れられていた。
 新元号令和を祝うかのように、三川町で「イ号彌太右衛門」という日本酒が発売される。酒の名称はもちろん佐藤弥太右衛門翁が育成したイ号に由来する。「イ号彌太右衛門」は翁の地元三川町がプロジェクトとして取り組み、おおよそ100年の時を経て幻のイ号は酒米として蘇ったのである。
 庄内三大育種家が育てた「亀の尾」や「京の華」は、いずれも百年近く前の時代の条件に適応した品種である。それを今日栽培しようとすれば著しい困難に出会う。現代の稲作に適合した水田では、背丈の高い稲は伸びすぎてみな倒伏し、余分の管理が必要である。蔵元がそれだけの苦労を重ねても、酒造りに挑戦するのは、現代の酒米にない魅力があるからだろうか。 

2022年2月 3日 10:39