人と風土が育む山形の酒米(5)

 

 

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酒米三部作「酒の華」「京の華」「國の華」を育成した工藤吉郎兵衛翁

 幻の酒米よみがえる(2)
 
亀の尾を創選した阿部亀治翁と双璧を成した育種家が山形県西田川郡京田村(現鶴岡市)の工藤吉郎兵衛翁である。翁は大正4年、自分で育成した「敷島」に「のめり」という品種を交配「福坊主」を育成した。「福坊主」は、当時東北地方を席巻した国の試験場(陸羽支場)で育成した「陸羽132号」を相手にして、山形県と宮城県で栽培面積においてこれを凌駕した品種である。最大作付け時の昭和14年に全国で69000haを超えた。
 翁は「福坊主」に引き続いて酒米三部作とも呼ばれる「酒の華」、「京の華」、「國の華」を育成する。亀の尾が生まれて30数年後である。翁が酒造米品種に興味を持ったのは、居住した地が江戸時代から続いた酒造地である大山町(現鶴岡市)のすぐ近くであったことに関係すると思われる。
 昭和2年、翁は「酒造米酒ノ華ノ来歴」と題する一文を書いている。「我が国の清酒中灘地方の酒は香気あり上品にして一般の嗜好に適するものなるを思い斯かる良酒を得んにはその原料の選択が、尤も大切なることを考え・・・、備前の白玉、雄町、穀良都、都の四種を取り寄せられる。依ってこの四種を当地に栽培せしに、いずれも晩熟にして我が地に適さざるものなりき。されば、当地に適応するものを作るには、人交雑種より外に良法なきを・・・」。
 そこで、翁は亀の尾に白玉を交配「亀白」を育成したが、栽培しにくい稲であったので、「亀白」にこれも翁が育成した「京錦1号」を交配し、大正10年「酒の華」を育成した。酒の華は酒米としての優れた特性を持っていたので、庄内平野で酒造米として高く評価された。
 しかし、翁はこれに満足せず、この酒の華にさらに兵庫県の酒造品種である「新山田穂」を交配、大正15年に「京の華」を育成した。新山田穂は酒米の代表品種でもある「山田錦」の母親であり、在来種の「山田穂」から純系淘汰法により兵庫県農事試験場により育成された品種である。京の華も、酒造米として名声を博し、庄内地方で112ha(昭和12年)作付けされたが、とくに福島県会津地方で多く作られ、会津米穀組合は翁に感謝状を贈ったほどであった。
 感謝状の文面は「貴下長年苦心改良ノ結果精選セラレタル酒造用米京の華種ガ会津地方ノ気候風土ニ適シ普及奨励日尚浅キニ拘ラズ既ニ二万余石ノ生ヲ挙ゲ全国酒造業者ニ要望セラレルニ至リタルコトハコレ偏ニ尊慮ノ賜ニシテ感謝ニ堪エズ以テ普及五ケ年ニ当タリココニ記念品ヲ贈呈シイササカ感謝ノ意ヲ表スと(菅 洋 庄内における水稲民間育種の研究)。
 翁はこの京の華をさらに改良しようと、これに当時の新鋭品種「陸羽132号」を交配して昭和15年に「国の華」を育成した。翁81歳の特である。まさに、利害を超越した育種に対する情熱以外何物でもない。かくして、酒米三部作はなったのである(つづく)。

 

2022年1月20日 11:04