人と風土が育む山形の酒米(3)

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 亀の尾を創選した阿部亀治翁 新雪の月山と庄内平野(庄内町余目)


 幻の酒米よみがえる(1)
 日本酒は米と水が醸し出す芸術品、いい米といい水、そして各蔵の匠の技と深い愛情がそろって美酒が生まれる。”酒どころ”としての山形が全国の脚光をを浴びるようになったのは、うまい酒造りに対する探究心と、原料米への徹底したこだわりがあったからに他ならない。先人たちの酒米づくりへの飽くなき挑戦に迫ってみよう(参考文献:菅 洋 庄内における水稲民間育種の研究 稲品種改良の歴史)。
 大正末期から昭和初期にかけて、全国の酒蔵で”西の雄町”、”東の亀の尾”といわれた酒造米があった。余目町小出新田(現庄内町)の篤農家阿部亀治翁が立谷沢村(原庄内町)の冷水田から、後に「亀の尾」と命名する稲の穂を発見したのはわずか26歳の明治26年である。これが後世、国内における米の品種改良に大きな役割を果たすことになる。
 この年の気候は順調でなく、亀の尾が発見された水田には冷害に強い「冷立稲(ひえたちいね)」が植えられていたが、ほとんどの穂は実をつけていなかった。しかし、注意深くその周辺の田を観察しながら歩いていた亀治翁は、その中に三本の黄色く熟れている穂を見つけた。この稲穂を育て上げたのが「亀の尾」である。
 亀の尾の評価は波紋のように広がった。明治末期から大正にかけて東北から全国、朝鮮半島まで作付けされ、「神力」、「愛国」とともに日本水稲優良三大品種の一つに数えられることになる。大正14年には、194914haにも及ぶ。のみならず、創選から130年余り経た今、亀の尾の血は「コシヒカリ」をはじめ、「ひとめぼれ」、「つや姫」、「はえぬき」など、現在の良食味品種米と呼ばれる品種に脈々と受け継がれている、と言って過言ではない。亀の尾は不思議な品種であった。飯米用としてだけでなく、優れた酒米としての特性も備えていた。歴史に「もしも」はないが、もし亀の尾がなければ、今日の良食味品種、良酒米品種、もちろん、美酒もなかったのである(以下、次号)。
 

 


 

2021年11月25日 12:26