「うまい米を育む」Ⅱ 先人の汗

阿部亀治翁.jpg (2)亀の尾碑.png
「亀の尾」を創選した阿部亀治翁と頌徳碑

2 うまい米を育む先人の汗

 うまい「お米」は、と聞かれれば、ほとんどの人は「コシヒカリ」と答える。うまい米の代名詞ともなっている「コシヒカリ」、そのルーツをたどれば、「亀の尾」という品種に突き当たる。
 「いまから122年前、明治26年9月29日、山形県東田川郡立谷沢村(現庄内町)の熊谷神社に向かう道を、東田川郡大和村大字小出新田(現庄内町)に住む26歳の農民阿部亀治が通りかかった。道脇は棚田で、山から流れ出る冷水がかけ流しされていた。水口付近のほとんどが無残な姿の稲の中に、黄色く熟れている3本の穂を見つける。その穂をもらい受けて帰った亀治は、翌年から4年間にわたり、失敗を重ねながらも、この穂を育て創選したのが「亀の尾」である(菅 洋:庄内における水稲民間幾種の研究)」。
 「亀の尾」は多収で食味が良かったことから、最盛期には山形県のみならず東北地方を席巻した。朝鮮半島にまで普及し、栽培面積は19.5万haに達した。のみならず、「亀の尾」は多くの品種改良の交配母本ともなり、その特性は「陸羽132号」(日本初の人工交配による品種で大正10年(1921)、国立農事試験場陸羽支場で育成)、さらに「陸羽132号」と「森多早生」(大正2年(1913)東田川郡余目町(現庄内町)森屋正助が育成)の交配から「農林1号」が育成され、「コシヒカリ」へと引き継がれる。
 「亀の尾」のひ孫、そして「森多早生」の孫、奇しくも庄内の民間育種家が育成した品種から誕生した「コシヒカリ」は、全国での作付けシェアは昭和54年(1979)以来今日までトップを走り続けている。「コシヒカリ」の血は、山形の主要品種「はえぬき」、「つや姫」をはじめ、「ひとめぼれ」、「あきたこまち」など全国の名だたる現在の著名品種のすべてに入っている。うまい米の品種改良の歴史は、庄内の民間育種家の功績抜きには語れないのである。
  亀冶が目の当たりにし育てた、たった3本の穂、この穂がなければ、今日の「コシヒカリ」も、もちろん「はえぬき」も、「つや姫」も誕生しなかったかもしれない。品種を育成する育種という事業は、科学的基盤に立って、長年月を必要とする。しかも経費が掛かり簡単になしうるものではない。経済的に利益があるとはいいがたい。にもかかわらず、亀治を駆り立てたものは何か、こめづくりへの情熱とロマン以外何ものでもない。“先人の汗”は、山形の米づくりのレガシーであり、それは今にまで綿々と引き継がれている。

 

2020年4月21日 12:03