おくの細道出羽路を訪ねて(2)

 閑話休題 芭蕉と曾良がたどった出羽の国の国境から尾花沢までの路は、コメづくりにとってもっとも恐ろしい冷害地帯でもあります。二人が訪れた時期は、奥羽山系の切れ間からヤマセと呼ばれる冷たく湿った風が宮城県側から吸走する日が続きます。曾良が旅日記に”晴明の日なし”と記しているのもうなずけます。
 平成5年の大冷害、思い起こすと二人が歩いた路の一帯の田んぼは収穫皆無に近い被害を受けました。7月に入ってからヤマセによる冷温・日照不足が長期間にわたって続いたためです。近年は、地球温暖化による品質の高温障害が叫ばれ、冷害は過去のものになりつつあります。冷害常襲地であった尾花沢には冷害研究の試験地が設置され、冷害に強い品種(耐冷性品種)の開発や栽培法の研究が行われていました。試験地は今ではその役割を終え、”冷害研究ここにありき”の碑のみが昔日の面影を残すのみとなっています。
 翻って、今年の気象、東日本、北日本の各地では6月下旬から日照不足が続いています。平成5年の気象経過が頭をよぎります。最上町や尾花沢市は平成5年ほどではありませんが、日照不足に見舞われています。ここ一週間ほどはぐずつくとのこと、一日も早く晴天が広がることを望みながらの出羽路でした。
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日中の気温19℃、冷たい霧雨の水田地帯(最上町 7月14日)
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奥羽山系の切れ間から吹走するヤマセ(尾花沢市行沢) 冷害研究の碑

2019年7月16日 11:43