酒の華・京の華のふるさとを訪ねて

 

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酒の華・京の華を創選した工藤吉朗兵衛翁の頌徳碑(鶴岡市京田)

DSCN4295.JPG アスク試験田では、酒造好適米「酒の華」と「京の華」の姉妹が並んで出穂を迎えました。
酒の華は1921年(大正10年)、京の華は1926年(昭和元年)、ともに工藤吉朗兵衛が創選した酒米です。創選されて1世紀近く経ち、この間幾多の経過をたどりながら、今、姉妹はアスク試験田で?を競い合っています。

  創選者の吉朗兵衛翁の頌徳碑は、鶴岡市京田、京田小学校と道を隔てた側、住宅に囲まれたところに立っています。碑は昭和16年に建立されました。翁が86歳で没したのは昭和20年ですから、生前に建てられたことになります。刻まれた碑文はほとんど読み取れないほどになっていましたが、生前に建てられたということは稀有なことです。翁の功績がいかに大きかったかを物語っています。
吉朗兵衛翁は庄内の地にあって、半世紀以上も稲の品種改良を続け、数々の品種を創出しました。当時、農事試験場でも着手して間もなかった人工交配技術を自ら学び、生涯にわたって360もの交配を行っています。その中には、外国稲との交配をも取り上げているのです。
吉朗兵衛翁が育成した品種で、最高作付けをみたのが「福坊主」です。昭和14年には東北全体で69000haに植えられ、陸羽132号(農務省陸羽支場育成)に次いで第2位を占めました。また、酒米の育成にも力を注ぎ、「酒の華」・「京の華」・「国の華」のいわゆる酒米三部作を完成させています。「国の華」は残念ながら消失しましたが、「酒の華」・「京の華」は、アスクが二次選抜を加えながら種子を維持していることは、本ブログで再三紹介しています。
「亀の尾」を創出した阿部亀冶、「森多早生」を創出した森屋多朗左エ門、そして数々の品種を創出した工藤吉朗兵衛、彼らを稲の品種改良に駆り立てたものは何だったのか。菅洋氏は言う。「経済的な動機や金もうけのために品種を創ったのではない、ただ、庄内の自然風土に適した品種を創りたかった、庄内の風土そのものだったと思えるのである」と。

アスク試験田の周囲には、「はえぬき」・「つや姫」・「コシヒカリ」など、わが国を代表するおいしい米の品種が青々と広がり、出穂を迎えています。これら品種のルーツを訪ねての旅は、先人たちが米づくり懸けた情熱が、今日まで引き継がれている、このことを思い知らせてくれた温故知新の旅でもありました。



 

 

2012年8月 9日 10:50