「亀の尾」発祥の地を訪れて

 

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亀の尾発祥の地に建つ石碑(昭和62年建立)       昭和62年以前の木碑

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亀冶翁が参拝した熊谷神社            境内のビニール水田に植えられた亀の尾


コシヒカリ、ササニシキ、ひとめぼれ、あきたこまち、そして山形米を代表するはえぬき、つや姫、これらのおいしいお米を席巻する品種のルーツを辿れば、それは120年前に誕生した亀の尾に行き着きます。
亀の尾は、山形県庄内町小出新田(旧大和村)、阿部亀冶翁によって創選されたことは、本ブログで紹介しています。
亀冶翁のこの偉大な功績を称え、後世に伝えよう、地元の関係者がそんな思いから記念碑を建立したのが、出生地の八幡神社境内にある「阿部亀冶翁頌徳碑」です。昭和2年(1927)に建立されました(平成23年5月6日のあぜ道日誌)。
ところで、亀の尾を称える碑は今一つあるのです。それは、亀の尾発祥の地にです。明治26年(1893)9月26日、26歳の農民阿部亀冶は熊谷神社(庄内町立谷沢中村)を参拝します。立谷沢村には、月山の雪解け水の冷たさの中でも穂を稔らせる惣兵衛早生(冷立稲、水口稲とも呼ばれていた)という品種があることを耳にし、気になっていたからです。
参拝の道すがら、神社付近の田んぼの水口に植えられていた冷立稲の中から、黄色く熟れた3本の穂を目にします。その穂を貰い受けて持ち帰り、育てたのが亀の尾なのです。
この3本の穂を見つけた地にあるのが「亀之尾発祥乃地」と「水稲品種亀之尾由来」の石碑です。昭和62年9月に建立されました。揮号者は大蔵大臣宮澤喜一氏(当時)です。りっぱな石碑と揮号者に驚かされますが、それ以前は、山間の田んぼの農道脇に木碑がひっそりと建っていたと思われます(庄内における水稲民間育種の研究:菅洋)。
3本の穂が育った田んぼ、しかし今、そこには昔日の面影はありません。立谷沢の本道から熊谷神社までの1kmほどの細い道の両側で目にしたのは、わずかばかりの畑と夏草が生い茂った荒地でした。山間の田んぼはすっかり姿を消してしまったのです。
「夏草や兵どもが夢のあと」、一抹の寂しさを感じ呟きながら、3本の穂の血が脈々と引き継がれてきたことを称え、これからも素晴らしい品種が生まれるよう祈願し、発祥の地を後にしました。




 

2012年7月23日 10:01