SLの勇姿に米づくりの移ろいを思う

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          JR左沢線を疾走する「SL花回廊号」(4月7日、山辺町にて)
 JR左沢線(あてらざわ)を、4月7日「SL花回廊号」が黒煙を上げ、汽笛を鳴らしながら、残雪の田園の中を疾走しました。
 左沢線は山形市北山形駅と山形県大江町の左沢駅を結ぶ24.3kmの路線です。「フルーツライン」の愛称がつけられていますが、地元からは、「ザワ線」とか「ガスカー」と呼ばれ親しまれています。
 SLはC11型で、左沢線を1967年(昭和42年)から約5年間走ったという。C11型が登場した当時、山形県の米づくりは大豊作が続きました。車窓からは、田植えや稲刈りにと、豊作を喜んで精を出す一家総出の田園風景を目にしたことでしょう。SLが姿を消した昭和47年、米づくりは一転して減反へ、そして田植えや稲刈りの作業は手から機械へと向かいます。沿線の田園風景もまたもまた大きく変化しました。 C11型が左沢線に登場し、姿を消すまでの5年という短い間に、沿線に広がる田んぼもまた、減反と機械化という、かってない激動の中にあったのです。
 横なぐりの雪が舞う田園に響く汽笛の余韻に、40年前に思いを馳せた一瞬でした。
 

 

2012年4月 9日 12:00