奥の細道出羽路を訪ねて(1)

地図.jpg DSC_0833.JPG
芭蕉・曾良は封人の家から山刀伐峠を越え、鈴木清風宅へ
DSC_0829.JPG DSC_0848.JPG

 元禄2年(1689)5月15日(現在の7月1日)、俳人芭蕉と曾良が出羽国の国境の集落堺田(最上町)にたどりついた。ここには封人の家があった。封人とは国境を守る番人のことで、有路という家が代々世襲していた。その日は封人の家に泊まる。「蚤虱馬のばりするまくらもと」。翌日は大雨だったため二泊する。5月17日(7月3日)封人の家を発ち、山刀伐(なたぎり)峠のけわしい路を超えて、尾花沢の豪商鈴木清風宅を訪ねる。二人は尾花沢に10日間逗留する。「すずしさを我宿にしてねまる也」。「まゆはきを俤にして紅粉の花」。
 曾良の旅日記によれば「18日小雨、19日夕方小雨、20日小雨、17日より終日晴明の日なし」などと天気のことが続いている。逗留中に晴れ間がなかったのは、この節は陽暦に直すと7月上旬であり、出羽路は梅雨明け宣言前の気象状況だったのだろう。今年の天気のように。
 

2019年7月16日 11:04