さて 巳年の作柄は?

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白一色となったアスク試験田(12月26日)        社員の田植え(5月18日)

山形県内には強い寒波が流れ込んだため、積雪量は多く、大蔵村肘折で156cm、尾花沢市で100cmを超えるなど、例年にない寒い年の瀬です。
この雪で、社員の田植え、そして猛暑の下でのイネ刈りと賑わったアスク試験田も
白一色、田んぼは降りしきる雪の中で、巳年を迎えようとしています。
さて、米作りには「巳年に豊作なし」、「巳年のケガジ」という古くからの言い伝えがあります。どうも巳年には不作のイメージがつきまとっているようです(飢饉キキンは飢渇キカツ・ケカツという漢語から転訛したもので、それが訛ってケガジになったらしい)。
江戸時代の天保年間、東北地方を襲った大飢饉、中でも、天保4年巳年(1833)の大凶作では、餓死者があまりにも多かったため、これを「巳年のケガジ」と呼ぶようになったとか。
そこで、明治時代までさかのぼって、巳年の米の作柄(作況指数)を調べてみました。それによれば、巳年11回のうち、6回は作況指数が100以下(グラフ赤の折れ線)、約50%の確率で指数100を下回っていることがわかります。
ところが、再来年の話になりますが、午年の作柄を調べると、これがなんと、作況指数100以上が100%なのです。「午年に不作なし」と言われる所以でしょうか。干支と作柄.jpg
もう一度グラフを見てください。巳年の作柄が昭和40年以降から、指数は100を上回るようになってきたことに気づくでしょう。その背景には、技術向上や灌漑設備の充実などによって、米作りが冷害に左右されなくなってきたためでないか、とも考えられます。
閑話休題:東北地方の米づくりは、近年では冷害でなく、逆に高温障害を受けるという、一昔前までには考えられない気象現象が起こっているのです。
しかし思い出してほしい。「冷害は忘れたころにやってくる」との言い伝えもあることを。雪降る中、「米の山形・酒の国」の看板は、田んぼから私たちにそう語りかけているようです。ここは緊褌一番、巳年の米作りに備えたいものです。
あと5日で新年、皆様、本ブログのご愛読ありがとうございました。良い年をお迎えください。






 

 


2012年12月27日 14:22